「闇から光に」  06.03.18
            使徒言行録 26:1〜18

 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い魂を
生き返らせてくださる。
 主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。(詩23:1〜)
 この詩篇の言葉を、自分自身のこととして口にできるのが、私たち
信仰者です。自分が闇に支配されているのでは決してないことを、
心から信じています。

 パウロは、神さまが自分に心を向け、自分を導こうとして下さった
ことを語ります。クリスチャンを迫害するための旅をしていたパウロに、
イエスさまは「とげの付いた棒をけるとひどい目に遭う」と語りかけました。
 家畜の進む方向を定めるための棒があります。家畜が進むべき方向に
逆らって、その棒をけると、痛いのです。イエスさまは、神さまが与えて
くださっている生き方とは違う方向に進んでいるパウロが、痛みを持って
生きていることを見抜かれたのでしょう。
 「お前の進む方向はそっちじゃない。その生き方は、痛いだろう…。」
 パウロの進む道を本来のあるべき所に修正しようとする呼びかけが
なされました。
 イエスさまは、神さまに背いて生きるパウロに無関心になるのではなく、
あるべき所に導こうとされます。
 「痛いだろう…」パウロに呼びかけた主の声が、今聖書の言葉を聞く
私たちにも向けられています。
 「闇」「サタンの支配」どちらも神さまを見させないようにする力です。
 イエスさまは、「彼らの目を開いて…」とおっしゃいます。光や神さまの
支配がないのではありません。イエスさまの十字架により、光に包まれて
生きることは、すでに可能となっています。
 イエスさまは、「目を開いたらよい。そして自分が罪赦されて、
神さまの大切な存在とされていることをしっかりと見なさい」と
呼びかけてくださいます。
 イエスさまが羊飼いのようになって、この私を守り、導き、養い、
伴ってくださることに気付かされます。